The story of Naocastle ~スイスでの日々パート3~ 第八章
標高1000mの場所にあるこの2部のチームは、ヌシャテルの後、
冬休みが終わった1月からずっと半年間ほとんど雪が降りっぱなしでした。
マイナス20度以下という気温が続き、練習も氷の上でするときがよくあって、メンタル的にもかなり参っていたのが事実。
しかしこれがまた不思議な事に、そんな気温にもしばらく居ると結構慣れてくるもので、長袖にジャンパーを羽織るぐらいだけで大丈夫になってくるのです。
氷の上での練習が終わって、ふと髪を触ると髪の毛が凍っていた時はさすがにびっくりしましたがね。笑
サッカーの環境もヌシャテルとは無論かけ離れていて、ほとんどの選手はサッカー以外に本職を持っているので、いつもアマチュアのように夜からの練習…
街中を歩いていても、5分ぐらいで全てを回れる“超”田舎町を歩いていて、一体僕はここで何をしてるんやろう? と自分に問いかける毎日が続き、人生で初めて自殺する人や、薬に落ちていく人の気持ちが一瞬わかったといっても過言ではありません。
ああ、こうやって人は落ちていくんやなって…相当、メンタル的に参ってましたからね…あん時は。
住んだ方はわかると思いますが、欧州では太陽がほとんど見えない暗い日々が何ヶ月も続く時があります。
そしてやっと季節も変わり、太陽が見え出してきた新しいシーズンの中その日は訪れました。
この日本人選手は絶対に必要だと外務省にも手紙を送り、色んな政治力を持った人にも頼み続けていてくれた監督から、練習の前に部屋に呼ばれました。
内容はわかっていた。イエスかノーかの問題だけ。
答えはノーでした…
労働ビザは下りなかった。残念だが、今シーズンは無理だと。
苦しかった毎日に、更にとどめを刺された感じでした。
この時の出来事で、“スイスでの日々”章の最後に笑けるストーリーがまたまた生まれてしまうのですがね。
部屋の中ではしばらく沈黙の時間が続いたのですが、その後パスポートなど色んな事を処理している間にも時間は経ち、いつの間にかチーム練習は終わっていました。そこで僕は何を思ったのか…腐っていても意味がないと思い、ボールが入ってるバッグを持ち上げながら、一人で練習場へと向かっていきました。
ここで話を終わっていれば、一応腐らずがんばってえらいね…ぐらいで済んだのかも知れませんが、ここからがストーリーの始まりです。
散々走って、シュートを打ちまくった後、引き揚げて控え室へと戻ると…
ガーン…クラブの人もみんな帰っていて鍵がかかっとるやんけ!
マジ焦りました。
家の鍵も財布も携帯ももちろん全部、控え室の中。
その時、一緒に住んでいたチームメートの家がグラウンドから走って10分ぐらいのところだったので、スパイクのままボールをほったらかしにして、コンクリートの上をダアッシュ!
はあはあと息を切らしながら、着いて。ピンポーン!ピンポーン!
と、その時。あ!そうやった、あいつ今日、車で30分離れたところの彼女のとこに行って泊まってくるって言ってたな!!
その先、更に10分走るともう一人のチームメートの家があるのを知っていて、行くと誰も居ない!!
そういえば!!こいつも同じような事言ってたっけ!?
辺りも暗くなってきて、しかも寒くもなってきて、ヤベーどうしよう!?とか思いながら。
あ!そうや!マッサージ師が控え室の鍵を持ってるし、彼の家には一回晩飯に招待された事がありました。
だが、彼の家がどこかとは、はっきりと憶えていなく坂を上がったり下がったりしながら、かなり走り回ったのですが結局見つからず…
ふう…とかため息をついている場合じゃない!!ほんまブルーでしたわ。
そこへ、新たなアイディアが!
あ!そういえば…!マッサージ師の仕事場ってグラウンドの近くにあったよな?
ってひとり言を言いながらまたグラウンドへ走っていく。
なぜそこへ行ったかといえば、彼の電話番号がそこに貼ってあったのを思い出したからです。
そして着いて…あったー!!俺って天才やわとか思いながら、公衆電話へと向かいました。
そして公衆電話に着いて。うわ!俺ってやっぱめっちゃあほやわ。
金が無いのに掛けられへん!!
そこへ…ん?これってテレフォンカードか?と公衆電話の近くにあったのを試してみると、
そんなにうまくはいくはずはなく、案の定クレジット切れ。
しかーし、そこで! シドニーとか日本に国際電話を公衆電話からあるカードを使って掛けていた僕は、これでスイス国内も掛けれるんちゃうん?とか思いながら、まず初めに掛けるフリーダイアルの電話番号を思い出しました…
さすがに結構掛けてるだけあって、そこへはとちゃんと掛かったのですがここからが問題。そのカードのクレジットが切れると新しいのを買いに行くので、その後に押さなければいけない16桁の暗証番号は毎回違ってくるのです…
こんな感じやったっけ?って押すと、2回目でなんと!!!繋がった!またまた、俺って天才!とか思いながら、マッサージ師に掛ける。
クレジット切れ寸前で状況をなんとか説明できて、「今はマッサージのお客さんが来ていて手が離せないけど、家の者がすぐグラウンドに向かうよ…」と。
ああ、よかったあ。セーフ…ってな感じで、もう辺りは真っ暗になっていたのですが、今度は安心して徒歩でグランドに向かい、無事に控え室を開けに来てもらいました。
いやあしかし大変でした。大変な事は続くものです。笑
とまあそんな事もあったのですが、契約があったのにも関わらず、スイスに残れなかったのは事実であり、空しさ、悔しさ、そしてどうしても納得がいかない自分だけを残しつつも、チューリッヒ空港から帰国をするはめに…。
その時、オーストラリアで初のプロサッカーリーグが始まるという話を聞いており、自然というか仕方なくというか、目標はそちらの方に移されていました。
そして、シドニーに帰りもう一度イチからやり直そうと思いました。
スイスでの日々の最後に、松下幸之助さんの「道」という好きな言葉を引用いたします。
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない自分だけしか歩めない、
二度と歩めないかけがえのない道。
広いときもある、せまいときもある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もある。
なぐさめを求めたくなる時もある。
しかし所詮はこの道しかない。
あきらめろというのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず、歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ、遠い道のように思えても、
休まず、歩む姿からは、必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
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"Aiming to be a world class player would be on anybody's mind who have tried to pursue a career in this beautiful game, but I think it is more important to aim to be a first class human being."
「このサッカーという素晴らしい競技の中、プロを目指す人間の頭の中に世界一流選手になろうという気持ちは必ずどこかにあるはずです。でも私は人間として一流を目指す事のほうが大切だと思います。」
今矢 直城
最後までハラハラドキドキ読みました!
智慧を働かせて必死な様子が目に浮かびました。
クラブの決断は悲しいものでしたよね。あんなに堪えてたのに。
当時のことを思い出します。あの冬は本当に雪が多く、寒かったですよねぇ。(雪が怖くて、車の運転練習を怠ったため、未だに雪道を運転できません。)
その夜は薄着で走り回って寒かったでしょうね。その後風邪は引かなかったんですか?
Naoさんにとって、スイスでの経験は苦いものだったのは間違いないですが、それでスイスが嫌いにはなってないことを祈ります。
さすがに9年も住んでしまうと、酸いも甘いもかみ分け、段々愛着がわいてくるものですね。
続きを楽しみにしています。
sweetchiakiさん
ラッキーな事に風邪はひきませんでした。笑
当時いた時は全てが真っ黒にしか見えなかったのですが、写真やYoutubeでヌシャテルやスイスの事を今見てみると、 あれ???
こんなにきれかったっけ?
と思います。
思いだすと、苦い経験もありましたが良い時もあったなと思います。
オージーの選手もよく言いますが、ヨーロッパは1年目が一番タフだよと。