The story of Naocastle ~ジズーと挑んだユーロピアンドリーム~ 第四章

Unless you try to do something beyond
what you have already mastered, you will never grow.
- Ralph Waldo Emerson(1803-1882, American Poet, Essayist)


「自分が既にマスターしたもの以上なものに挑戦をしない限り、成長はない」


自分で言うのもどうかと思いますが、一応それなりにオーストラリアでは年を繰り返すごとに活躍が出来たシーズンもあり、ある程度の活躍はできたと思います。


しかし小さい頃からの夢はやはり本場ヨーロッパでプレーする事であり、
なにがあってもその心は揺ぎ無くその夢を実現するまではサッカーは辞めなかったでしょう。


オーストラリアでプレーを続けながら、このままチャンスさえも来ないまま僕のサッカーキャリアは終わってしまうのかな?
なんていう不信感と怖さがあり、どうにかせなあかんと思いながらも日々は繰り返されていき、いつも通りに練習場に足を運び週末には試合をこなすという現実の毎日が続いていました。


オーストラリアにいた時でも、シドニーから離れた場所にあるチームでプレーする事はありましたが、
それでも飛行機、もしくは車で長時間ドライブすれば一応同じ国に家族が居て友達も居て、更に言葉には不自由もなく暮らしている僕は、ほんとに人間として成長できているのか?
という疑問感も湧いていました。
もちろんサッカーを通じて色んな事を学べたし、これからもきっと学んでいくんだろうなとも思いながらも…


誰も知らないところ、言葉も全くわからないところ、文化も全然違うところ。
そんなところでやってみたいという気持ちがありました。
言ってしまえば、この当時はそれがどんだけ大変な事かもわからない、あほな22歳でしたから…
とりあえずその場所に行ってみなわからんやろう、なんて無謀な事を考えていた中、
ある知り合いとの会話後…
一人の、これがまた変わったフランス人の代理人を紹介してもらう事になるのです。


フレンドリー、そしてフレンチアクセントで喋る彼の英語は非常に面白く、とてもスムーズな会話をする人でした。
代理人にとって喋りのうまさが非常に大事であるのは間違いないのですがね。
彼の名前は、ジズーとでもしておきましょう。
彼の自宅に呼ばれた時に今後どうするのかとか、クラブの交渉内容とかより、
キャビネットに並ぶフランス代表選手、ジダン(彼のあだ名が、ジズーなので)のDVD…
まさかとは思いましたがお構いなくジダンのビデオを観せられる。
その後もなにかと言うとジダンの話がやたらと多かった。
いや、ジダンがうまいのは充分知ってるからみたいな…
そんなのはどうでもいいから早くヨーロッパの話をせんかい!
と言いたいところですが、一応日本人なのでそこは抑えて、「いやあ、やっぱすげーなあ、ジズー」、
なんて機嫌をとりながら、話を進めていき一度試合を見に来て貰う事になりました。


観に来てもらった試合は優勝を決めた試合でもあり調子が良くプレーも気に入ってもらい、後日またジズーと会うことになりました。
その時に今、夏のヨーロッパ行きの格安チケットが手に入るから買っておこうというジズーの提案に乗ってしまい、数日後チケット代分の小切手を渡したその後はしばらくジズーから音沙汰なし…


そんな事は全く気にせずに、後4ヶ月ぐらいでヨーロッパかと思うと更に気合が入り、
相当練習をしました。
なんか、目から炎が出るって感じですかね??漫画みたいですけど、ほんまに練習中はそんな感じでした。
この時は目標に向かって、まっしぐらって感じで楽しかったです。


朝早くから練習するために、前の晩にサッカー仲間に電話して、アフリカ軍団らには8時半から練習やったら、
「明日、8時からな!」
それでもアフリカンタイムで、来るのは結局9時とかにのこのこと…
ほんでもって7時半とか言ったら、その時だけ7時半にぴったり来たりするからたまらんわ。
大抵、6対6ぐらいのアフリカ軍団対僕、オージー、イタリア人、レバノン人、ギリシャ人、クロアチア人らの世界選抜みたいな感じで毎日のようにやった日々がめっちゃ懐かしいです。


このアフリカ軍団の中のエジプトとモロッコのハーフのハリー君は
(時間に常に遅れる彼は、いつも電話をして伝える事がただ一つ…「Hurry up!」(早くしろ!)から)
ともう一人のオージー君は、
午後も一緒に練習して、練習後にハリー君の家に何度も呼ばれ、うまいアフリカ料理を食べたりなどしてほんまお世話になりました。
F1ドライバー、LEWIS HAMILTONにちょっと似てる、家庭教師をやっていたハリー君は、
スーパー時間にルーズで、練習をしてて、5時にレッスンがあり生徒が待っているのに、
5時になっても余裕で、まだあと1時間は大丈夫やと。
「ええええ?」
「大丈夫大丈夫、俺が遅れてくるのはいつもやから」…ってそういう問題か?
時間に遅れるのは良くないと思いますが、まあそれでもとにかくほんとにいい奴で面白い奴です。


アフリカンタイムは、ほんと受けます。
一度、ハリー君のお母さんがアフリカ人の友達に「うちの家にご飯を食べに来て」と招待したらしくて、
案の定相手の家族は時間に遅れて来たらしいんですが…
何時間遅れてきたの?と聞くと…
「四日後、一応来たよって。」
遅れすぎ!!
そこでも、ハリー君のお母さんのいいところは、舌打ちをしながらも置いてあった物を全部片付けて一から料理を作ってあげたらしい。


アフリカ軍団の中には、スダンから来た連中もいて、学校がある日突然爆発され、
気がつくと体の上にはさっきまでペチャクチャと喋っていた
友達らの腕や、体の破片がのっかているのを払い落としながら逃げてきたストーリーや、
家族全員が目の前で撃ち殺されるのを見ながら生き延びてきたリベリア人のストーリーなどを聞くと、僕がどんだけ幸せなのかと言う事を改めて考えさせられながらも、もっともっと世界を見てみたいと思いました。
色んな国に行って、色んな人々の生活を見て、触れ合いたい。


以前、オフシーズン中にフィジィという、オーストラリアの上にある島に、助っ人として1週間の大会に招待してもらった時には、現地の人たちと一緒の物を食べさせてもらったり、飲んだり、ひと時を一緒に過ごさせてもらいました。
明らかに僕より貧しい暮らしで、出てきたご飯も何日も前から置いているような感じだったのですが、
衝撃的だったのは彼らは僕より笑っていた。小さな幸せを大切にし、幸せそうに毎日を暮らしていました。


話は少しずれてしまいましたが、時が経つのは早く、6月という出発の日が近づいてきたのにも関わらず、
どこの国のどこのチームのテストに行くとかという具体的な話が出てこないので心配してジズーに電話をして聞いてみました。


「大丈夫、心配すんな。最低でも2チームは用意してあるから。今からファックスでスイスの1部チーム、
SERVETTEから君宛に来た招待状を送るわ。おそらく着いて、いきなり次の日にここのチームと合流する事になる。それでも問題ないか?」


なんて、実際に招待状のファックスが送られてきたのはいいのですが、6月の何日に出るのかも言われてなければ、肝心な航空券を、まだもらってへんやんけ!
ていうかほんまに行けんのかい?みたいな感じになってきていたので、
しつこく電話して、「ジズー!、俺は1週間以内にヨーロッパに行くから、早く受けるチームの内容と航空券をくれ」。


その勢いが利いたかどうかはわからないのですが、やっと航空券は渡されて6月16日にシドニーを出るスケジュールとなりました。
結局受けるチームはその招待状に載っていたスイスのチーム、SERVETTE以外には詳しく聞かされてなかったのですが、
「ここのチームにも知り合いがいて、ここも向こうに行けば絶対に受けれる」。
と言われていたチームは50チーム以上あったかな…笑
代理人得意のほら吹きです。
でもジズーのトークは凄くて何でも納得性があり、ああそ~か。なんて簡単に信じてしまうのです。


例えばですが、フォークを僕の目の前に持ってきて、「これはナイフやで」って言われても、明らかに嘘やとわかっているのに、
ああ、ナイフかも…って、思うぐらい話の持っていき方が凄い。
ジズーの話は出せば出すほどありますが、次の章でも彼は出てきて、又色々とやらかしますからこの辺で。


予定では、スイスに着いた次の日にチームのキャンプが開始するというので、即効合流をするという形で
シドニーを出てシンガポール経由でチューリヒ空港に到着。
着いた後、お腹が減っていたので昼食でもとろうと思い歩き回った結果、
開いているのがマクドだけで、とりあえず入ってみるとびっくり。
たか!しぶしぶとバーガー、フライ、ドリンクの極普通のセットメニュー(約1400円!)を頼み、
まあ空港やから、少し高いのかな~とか甘い考えを持ちながら一瞬で食いつくして、空港の駅の方へ…


☆ (スイスではどこでも、この値段です。)


正直言って、ヨーロッパに来る前も着いてからも給料なんかどうでもいいと思っていました。
歳もまだ若いし、2部でもいいからとりあえず僕を必要としてくれるチームが、
もしヨーロッパにもあるのであれば、そこでプレーをしたかった。


そして、一等車、二等車と電車の中にクラスの差があるのも知らず、
途中で注意されるまで間違って一等車の方に乗っていたまぬけな僕は、SERVETTEのチームの本拠地である、ジュネーブへと向かっていくのです…

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