The story of Naocastle ~30人の生徒と30カ国の人種~ 第一章
Mind, like a parachute
Only works when it's open
「心はパラシュートと似ている
機能するのは開いている時だけ」
いきなりサッカーの話をするよりは、初めの2章でオーストラリアに行った時の事など、少し僕の背景を語りたいと思います。
微妙な変化には気付いていたのですが、特に疑問に思う事もなく大阪の町でごく普通に暮らしていた小学4年生の時。
おそらく家の中で兄とでも遊んでいた僕に突然、母が前に座ってきて正座をしながら一言。
「うちらシドニーに行くけど、なおくんも一緒に行く?」。
僕は日本を離れる事に対しての悲しみというよりも何か面白そうだったシドニーライフをその時に選びました。
そんな母からのさりげない一言で10歳の時に日本という国を離れオーストラリアへと向かい、南半球の世界へと旅立ちました…
最初に過ごした1ヶ月は学校の夏休みでもあり、ほとんどの時間は兄と一緒に家の前にある公園でサッカーをする毎日が続きました。
こんな大きな芝生の公園が家の前にある事が最高に幸せでしたね。
さすがにそんな遊ぶだけの毎日には終わりが告げられ、現地の学校へと通う日々が始まることに…
いきなり現地の小学校に入れられた時の初日は、正直どうなるのかなと思いました。
英語は、自分のノートに書いてあったNAMEという単語ぐらいしか知らなくて、
恐る恐ると図書館の中にとりあえず入り、集まっていたクラスの中に入って行ったのをはっきりと憶えています。
先生がおそらく、「今日から入る新しい生徒ですよ」、見たいな事でも言って紹介してくれた後、
ジェスチャーでそこに座ってと、指示されるままに座りながらしばらく時間がたち(多分、出席でもとっていたのだと思います)
いきなり黒人の子が笑顔でよってきて握手を求めてき、"Hi, I'm Arnaud!" っと、フレンドリーに挨拶をしに来てくれたのが凄く印象的でした。
その後、昼休みでは外でスポーツをやっていたのに混じり、ラッキーな事に運動神経は良かったので気に入られて友達は意外とすぐに出来、
"here!!(ヒアー!), here!!(ヒアー!)" と言えば、ボールを投げてもらえる事を学び、
その言葉が僕にとって最初に生で習った英語の単語でもありました。
やはり、この年代ではスポーツが出来ると自然と友達も出来るもんなんですかね。
初恋をしたのも、実はこの小学校ででした。
かなり余談になりますが、その彼女は現在結婚していて幸せにシドニーで暮らしています。
更に言えば、昔よく対戦相手だった同じ年代の元サッカー選手が相手の方です。笑
そんな事は置いておいて、このクラスには30人の生徒がいたのですが、国籍も30カ国!
オーストラリアの文化を語っていると言ってもいいですね。移民が多く、考え方も違い、宗教も違い、外見ももちろん違ってきます。
しかし、お互いにその違いを認め合ってこそ初めてほんとの会話が出来るものだと思います。
この章の最初にある引用はユースの時の監督に言われた言葉ですがまさにその通りだと、生きながら実感する時があります。
この小学校にいた時は、すぐにカッとなってよく喧嘩をしていました。
何かあったらすぐに手を出していたような気がします。
今でももちろん怒る事もありますし、誰でもきっと家庭の中で、もしくは仕事場で喧嘩になる事もあると思います。
ただその時その場所で、どんな心で対応するかでは違ってくると思います。
飛行機のファーストクラスと、エコノミークラスに例えて言えば、同じクラスにいるから嫌味も聞こえてくる。
何でこんな人と一緒におるんやろう?なんで自分はこんな悪い環境におるんやろう?
環境なんて言うものは、その人の心の境涯が変わってこそ、変わってくる物なのかもしれません。
ファーストクラスの人間はファーストクラスの人間が見えて、エコノミーの人間の言う事なんて聞こえない。
もちろん、お金とかの差じゃなくてあくまで心の境涯の差だと…
僕はやはりエコノミークラスに落ちる時がありますが、強く優しい心を常に目指していきたいですね。
学校の運動会での出来事も一つの貴重な思い出です。
一昔、日本ではかけっこなどの時にみんなで一緒にゴールをする事がありましたが、
シドニーの運動会で走った時に感動した事が、1位になった後、
一緒に走った他の子達がすぐに寄ってきて、「おめでとう」、「いい走りやったな」、「よくやったな」。
と、勝った人をすぐに祝福する事。
本来スポーツはこうあるべきなのではと思います。
勝ちたければやはりそれなりの努力をしなければいけないと思うし、負けた時は潔く。
向こうの小学校には5年生から入学したのですが、実は歩いて往復1時間半かかるとこに住んでいて、
帰りは、毎日友達が乗るバスと競争しながら走って帰りながら、おお今日は速かったなあ、とかそんな事を一人であほみたいにやっていました。
シドニーに行った時のうちらはお金があまりなく、毎日バスで学校に通う友達たちを見てて羨ましく思っていたのを憶えています。
おかげで体力がつきましたが、まぬけなのところが、6年生に入りほぼ英語もわかってきて、年の初めにバスパスの申込書みたいな事で友達たちが集まっていたところに行って尋ねてみると、
離れたところに住んでいる生徒達はなんとただで1年間バスパスがもらえるんだと!
まあ1年間の徒歩通学、まぬけといえばまぬけですが、今から思うと結構笑えます。
普通気付きますね…
学校へ持っていくリュックサックに入っていたのはランチボックス、ペン、そしてノートが1冊だけ。
なぜかと言うと、初めの数ヶ月はクラスの中には一緒にいるのですが、僕が一日中する事と言えば他の生徒とは違って、雑誌を見ながら好きな写真を切り抜いてノートに貼り、その写真が車なら車で写真の隣に“CAR”と書き、単語を憶えていくことでした。
ヒアリングはクラスの中にいるだけで、みんなの会話が耳に入ってくる訳ですから自然と英語は上達。
そして数カ月後は徐々に授業にも入っていき、「トーク」と言う先生が選んだトピックの中で、みんなの前でプレゼンテーションをするプロジェクトがあって、さすがにそれを発表する時は緊張したものです。
料理がトピックだった時は母に手伝ってもらい、いなり寿司の作り方を説明して実際に作ったのを食べてもらった事もあります。
他の「トーク」をした時も母にかなり手伝ってもらい、結構大変でしたが今となれば凄くためになったなと感じています。
小学校はとにかく楽しかったし、タイムマシーンがあって戻れるならこの時期はトップ3に入るでしょう。
そしてその後ハイスクールへと…
ファーストクラス、エコノミークラスの話、とても心に響きました。僕も自分の人生に誠実に、かつ向上心を持って生きていきたいと思います。The story of Naocastleの続き、楽しみにしています。
BGS GEEKさん、ありがとうございます。
僕もそういう生き方をしたいと思います!
来週のエピソードもお楽しみにしていてください。