The story of Naocastle ~俺は日本人や~ 第二章

When you give away a little piece of your heart,
you're giving away the only thing you can give away,
which, after you do, you got more left than you had before you gave some of it away.
- Don Hutson(American Sales Trainer)

「心の一部を相手に与える時、あなたは与えられる唯一の物を与えている
しかし与えた後には、与える前よりも心は大きくなっている」

ハイスクールにも入ってしまうと、さすがに勉強が難しくなるかわりに
一気に英語は上達。そしてまた人生とは色んな事が起こるものです。
ハイスクールは日本で言うと、中1から高3までが一緒の場所にいるので問題も多かったし、喧嘩等はしょっちゅう眼にしていました。


小学校卒業後、うちらの家族はシドニーから北に離れたところに引越ししていて僕の好きだった女の子とは離れてしまい、全く小学校からの知り合いがいない典型的なオージースクールで僕のハイスクール生活は始まっていきました。
学校には数人しかアジア人がいなく、ほんとうに完全なオージーばっかりなので、
単語の発音などを馬鹿にされた事もあり、それが悔しくて寝る前に言えない単語を何度も何度も繰り返して言っていました。
今では逆に、オージーよりオージーアクセントやんけって言われる時もあるぐらいになれたのはこの時のおかげです。


学校内ではアジア人が少ないのもあり、この時の時代と場所ではまだ僕みたいな存在はそう簡単に認められず、中学生ぐらいの時には、よく年上の生徒に至近距離でいきなり石を投げられたり、
授業が終わってクラスルームを移動する時には、壁にぶっ飛ばされたり、
日本人を侮辱する嫌味を言われたりするのは日常茶飯事でした。
今ではこんな事はあまり無いものの、
きっと昔の日本人はひどい事をしたんやろうなあ…とか思いながら我慢をしていたのを憶えています。


一般的に、いじめにも色々あるのかなと思います。性格がおとなしくて何も言わない。動作が少し違ったり、とろいなど。
見かけが違ったり、普通の人に比べて何かができない。
それは変えることが出来る事かもしれません。
でも日本人である事をいじめられては何も変えられません。


「俺はどこまでいっても日本人です」。


しかし、そんな中でもだんだんとですがなんとか僕は認められていきました。
どうやって?と聞かれても、一言では答えられない。
一瞬に起こった事でもなく、どちらかと言うと徐々に認められていった事であるから…
ただ言える事は、その時その時の対応の仕方があったと思うし、それを真剣に考えながら見つけていきました。
単なる冗談で言ってる時もあるでしょう。外国人は日本人に比べて冗談がきついですからね。笑
だから、ただ相手が怒るのを面白くて挑発してるだけの時もあります。
実際に面白ければ、怒るより一緒に笑ったりする時もあります。
相手はそれだけで、こいつはジョークが通じると思い、その人に対して少しリスペクトが増えるもんです。
きついジョークが通じる事は意外と大切な事だと思いますね。


そんな中でも、ブラックユーモアでも何でもなく、ただ単に日本人が嫌いな人がいる事も事実なのはもちろん知っていますが、そんな人達にも優しい心と理解する能力はあると信じているし、
日本人ていうのは、こんな人間やでっていうのを少しずつ見せていたのかもしれません。
思いきり言い合って、少し時間が経つと、逆にリスペクトが増して仲良くなったケースは皆さんもきっとあるんじゃないですか?
どんな人間でも、文化や考え方が違っても、人間としてそんなに変わらないもんです。
こんな日本人もおるねんなっていう事が彼らの中に自然と芽生えていった事だと、僕は勝手に思っています。


そんな事もありながら、今ではシドニーに帰ると、何十人ものハイスクールの友達が集まって、仲良く飲みにいきます。
もちろん昔、日本人や僕に対してよく思ってなかった連中達も一緒に。
今では一番分かち合える連中かもしれません。僕の弱いところを見せても解ってくれるし、唯一見せれる連中かも。
こんな、友達に出会えて、本当に良かったと思うし、この学校が僕にとって一番良かったんやなと思います。
本当の勉強をこのハイスクールの6年間で学んだような気がします。
科目別の授業等は、何年か経ったら頭の中から消えていき、日常生活で使う事なんてほとんどないでしょう。


「太陽のような人間になってください。
太陽のように、その優しい光で、困っている人達や悩んでいる人達を包み込んでください」。


日本の小学校は、4年生で終わりましたが、その時の担任だった先生から、わざわざシドニーまで送ってくれた物が、卒業式の時に卒業生に贈られたメッセージであり、上記がその中の一部です。


「一番苦労した人が、一番幸せになれる人です。
一番の悲しみを乗り越えた人が、一番晴れやかに輝く人です」。


同じく贈られたメッセージの中からですが、
今でも一番心に残ってる言葉の中の一つです。


こうしてサッカーなどを通じて、今、僕の周りには、イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒、
黒人、白人、アジア人などなど、いろんな人種、そして色んな考え方を持った、信頼できる友達が集まってきてくれた事は本当に嬉しい事です。
「これはなおくんの宝物やで」、と母にも言われた事なのですが、ほんとうに人生の宝物やと思うしこれからも大切にしていきます。


ハイスクールからの友達で、今となっては大親友のL.A.君(実名じゃないですよ)は、シドニーに帰った時には真っ先に電話して、飲みに行き色んな出来事を語り合います。
海外でプレーしていた時も遊びに来てくれて、どんな時でも励ましてくれ、これからもきっと励ましてくれる大切な親友である事は間違いないでしょう。


そしてこの章の最後に一つ言う事があるとすれば、周りからなめられるという事は確かに良くないと思いますし、黙っているだけではいけない時もあると思います。
だが、ちょっと日本人である事を、又は日本の事を侮辱されたぐらいで、怒る前に相手の意思が何なのか、
相手の日本人やアジア人に対する理解度はどれぐらいなのか、考えてから行動をとってみても良いのじゃないでしょうか。


ではいよいよ来週からは話をサッカーに移します!…

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今矢さん

初めまして、こんにちは。
いつも楽しく、期待して読んでおります。

僕は、僕が18の時に24の兄を亡くしました。
その時の葬儀で、人としての財産と云うモノを実感した事を、この第二章で思い出し、我慢出来ずコメントしてしまいました。湿っぽくてすいません。。

人の主観って時として暴力的だと思うんですが、相手の目線で見ると凄く全うだな、と思う事が多いような気がします。
最後の件りは、有り難きメッセージです。
この後の章も楽しみにしております!!

サッカーを通じて、一人でも多くの素晴らしい子供達が育って行く事を願って止みません。
いつも、素敵なメッセージありがとうございます。
Naocastleこれからも応援し続けます!!

投稿者 シーキャビン  : (2010年07月27日 00:38)

シーキャビンさん、
非常に貴重なコメントありがとうございました。
TOCの子供たちが素晴らしい人間に育っていくよう、全力を尽くします!

投稿者 Nao  : (2010年07月27日 11:40)

クラスルームを移動する時に、壁にぶっ飛ばされるのは僕もやられました。

僕の学校でもアジア人は結構そういう目にあっていて、そこで同じ人種に逃げるか、立ち向かってオージー達を仲間にできるかが分岐点だと思います。

ホント、あいつらジョークがきついですよね(笑)

まあでも、最終的には差別を逆手にとって、CITYに友達と飲みに行った時に、僕が「アジア人が増えてCITYも臭くなったよなあ」と言うと、オージーの友達が皆で、「お前が臭いんだよ」と突っ込んだりするようになりました。

様々な人種がいる国なので、人種の話はついてまわりますが、ほとんどの人は人種とか関係なしに、人間を見てくれていると思います。

投稿者 BGS GEEK  : (2010年07月27日 14:25)

BGS GEEKさん

コメントありがとうございます。

そのCITYの話はうけますね。笑

人間を見てくれている…
凄く良い言葉ですね。

僕もそうであるよう、頑張ります。

投稿者 Nao  : (2010年07月28日 00:36)