The story of Naocastle ~プロローグ~
今回のストーリーを書くきっかけとなった兄にプロローグの文章を書いてもらったので、紹介いたします。
このストーリーが海外チャレンジや、なにかに挑戦する人達に対して少しのヒントにでもなればと思います。
勇気や元気を与える事ができれば最高です。
~プロローグ~
「直城、自伝を書いたらどうや?」
2008年1月、ドイツ、ミュンヘンで一緒にランニングをしながら話をした。
「直城が挑戦、経験してきたことは今後の人生で大きなチカラになるし、それをこれからの若い子らに伝えていくことはめちゃくちゃ価値のあることやで。」
こんな話をきっかけに彼がサッカーを通じて経験したことをストーリーにまとめてみようと決して得意ではない日本語や文章を書くことに取り組むことにした。
1990年のクリスマス5日前。
直城は10歳、兄の私は14歳のとき、両親と家族4人で赤道を越え南半球オーストラリアのシドニーに移住。今思えば父親もなかなかのチャレンジャーだった。サラリーマン生活15年、学生時代から行きたかったオーストラリアへの夢を現実にするため会社を退職し、現地採用でシドニーでの就職先を決める。その当時、日本の大企業の駐在員もたくさんシドニーで生活しており彼らに比べれば決して裕福とは言えない現地でゼロスタートの生活が始まった。
クリスマス前にドタバタで引越し先を決め、まずはじめに買ってもらったのがサッカーボール。本文で直城が後述するがまだ言葉もしゃべれず車にも乗れない2人のやんちゃ坊主にとって母親は頼りになる存在だった。今でこそ両親のジャパニーズイングリッシュを笑えるが・・・
季節が日本と逆のシドニーはちょうど夏休み。友達もまだできていないし学校もしばらく始まらないから家の近くの公園でひたすら2人でボールを蹴っていた。
「おー。芝生の公園すげー。」
オーストラリアでは当たり前の光景だが、土の上でしかボールを蹴ったことがない私達にとっては感動そのもの。無駄にスライディングなどをして芝生の上でサッカーが出来ることに感激していた。
オーストラリアに渡り宿題も何もない夏休みが1ヶ月あまり経ち、まだアルファベットもまともに言えない直城が地元小学校へ。
そこから9年後にはプロサッカー選手になり、その4年後には片道切符を買ってヨーロッパへ挑戦。
私も一時はサッカー選手になりたいと思っていた。
ただ、その意思が本当に強くないとスタートラインにも立てないことを直城が教えてくれた。私のみならず家族をはじめ多くの人にチカラを与えてくれる直城を誇りに思う。
そんな彼が世界中にたくさんの友人を作り多くの文化に触れ、様々なスタイルのサッカーを体験する過程には、本人しか感じることができなかった喜びや悲しみ、勇気や苦労があったことと思う。その折々に彼の悩みや喜びを僅かながら多くの人より近い距離で接することが出来た私は、彼がサッカー選手としてではなくサッカーを通じて一人の人間として学んだことを伝えたいと思いこのストーリーを書く事を提案した。
私も今スポーツに携わる仕事をさせていただいている。直城のように世界に挑戦するアスリートを支援したいと思いビジネスの世界で挑戦しているが、私達兄弟がスポーツから得たものは本当に多い。私達が育ったオーストラリアではオリンピックやプロアスリートを目指すトップアスリートに対して小さい頃からbest athlete is best person という教えがある。つまり本当のトップアスリートとは一人の人間としても一流でなければいけないということだ。
まだまだ成長しなければいけない要素は多々あるし、日々前進、日々成長ではあるが彼のbest athlete is best person への今日までの過程が、目標を立てて挑戦する若者や社会人、世界を舞台に活躍される人たちをはじめ、このストーリーを読んでいただく多くの方々のチカラとなれば我々兄弟にとってそれほど嬉しいことはない。
"Aiming to be a world class player would be on anybody's mind who have tried to pursue a career in this beautiful game, but I think it is more important to aim to be a first class human being."
「このサッカーという素晴らしい競技の中、プロを目指す人間の頭の中に世界一流選手になろうという気持ちは必ずどこかにあるはずです。でも私は人間として一流を目指す事のほうが大切だと思います。」
今矢 直城