助かった言葉
今日はスイスで苦しくて、帰るか残るか迷っていた時に助言してくれた友人C君の言葉を紹介したいと思います。
無名でヨーロッパに挑戦して、契約を勝ち取った選手は、その生活が
孤独中の孤独だという事に共感してもらえると思います。
10歳くらい年上のC君は、昔かなり良い選手でドイツ・ブンデスリーガのブレメーンユースと16歳の時にシドニーを発ち契約を交わしました。
まさにDream Come True...
僕もスイスで契約を交わした時は長年のDream Come True...
C君は1年間プレーをして、次の年の契約があったのにも関わらずオーストラリアへ帰国。
その話を聞いたのが僕が20歳ぐらいの時。
僕がC君に言った言葉が 「お前、ほんまあほやなあ。なんで戻ってくるねん?」
それに対してC君はあまり反応をしなかったのを覚えている。
そして僕は23歳でスイス1部リーグで契約。
夢を叶え、給料もよく金はあった。
でも、そこには幸せはなかった。
サッカーや何かに人生全てを賭けている人はこの気持ちがわかるかも知れないですが、その何かがうまくいってない時は他の人生の要素がどんだけ良くても幸せじゃない。
試合に出れなかったりしたら、次の試合までの1日1日が重たい。ほんとに時間が重たい。なんでこんなに重たいの?って。1日が1年間に感じる。
なんで俺を使わねええええ!?ってね…
そして、他にも色々とあり、契約トラブル、下の2部への移籍、怪我。
友達や家族に電話をしても、怒られるか、慰められるか…
どちらでもムカつく理不尽な自分…
これは冗談なしに一瞬自殺という言葉が頭をよぎった。そんな人たちの気持ちなんて全くわからんかったけど、一瞬だけわかった。
電話で喋るのと会って話すのって全然違うねええ。オフシーズンで帰国した時はひたすら喋ってましたよ。嬉しくて。笑
そしてその時アメリカにいたC君の存在を思いだし、電話。
今の状況と、C君がなぜブレーメンから帰ってきたのかがなんとなくわかった事を伝えるとC君は、
「ナオキ、確かに経験した奴にしかわからん。ただ一つだけ言える事がある。俺はもう30を超えたが、今でもふと思う事がある。あの時もし残っていたら、もしかして今は…って。今でも帰国した事を後悔してる。ナオキ、残れるなら最後まで残れ。」
それから9ヶ月間は最後まで頑張りましたよ。
何も楽になったわけではなく、むしろ大変なことばっかりが続きました。
そしてシドニーに帰国してから2年が経ってやっと気づいた。
あの時残って良かったって。
一番厳しい環境やったけど一番成長してた。
だからまたあえて、言葉も何もわからない誰も知ってる人がいないヨーロッパ、ドイツへ旅立った。
スイスでの同じミスを犯さないよう、過ごした。素晴らしい国やった。
最近思うのが僕が求めている選手は日本じゃなくてオーストラリア?…
★Nao
日本で海外サッカー留学
ワセダクラブ英会話サッカースクール
毎週土曜の朝 10時半~12時 adidas futsal park 渋谷 大人対象クラスは naoki@bluetag.jpまで。
美しい写真ですね。
なおさんの気持ちよくわかります。
私は会社員を辞めた後翻訳家に転向しようと思いましたが上手くいきませんでした。ビジネス翻訳では食べていけませんでした。悩み、孤独感に蝕まれながら勉強を続けました。
今は塾で英語を教えていますが、会社員時代よりも英語のスキルはあがりました。成功したとはいえませんが、べそかきながらした勉強は無駄ではなかったようです。
ニュージー出身でラグビープレーヤーを続けることを望みながら日本で英語を教えていた人も知っています。みんな自分との戦いですね。
ぴぴさん、
この写真では奇麗なのですが、心が暗いとこの場所も真っ暗にしか見えませんでした。
ほんと最後は自分との闘いですね。
さすがにぴぴさんも苦労していますね。
その日々の闘いの中に幸せがあるのかもしれませんね。
ラショードフォンからですか?あそこは雪が多くて大変な町ですよね。
大変だった時、何にも助けられなくてごめんなさい。ただのファンの身分なのに、メールやり取りしてくださったりして、私はとっても楽しかったのに、明るく振舞ってたnaoさんのつらさに気付きませんでした。
もがき苦しんだ日々は遠い思い出になったけれど、そこで学んだことは一生ものかもしれませんね。
そうです、ラショードフォンからです。
さすが、よくわかりましたね。
マイナス20度以下の毎日が当たり前のように何ヶ月も続きますからね…
メールを頂いて僕も嬉しかったですよ。
確かにあそこで学んだものは一生ものですね。