第2話 (ヨーロッパでのエピソード)

LORIENTに着いてからいろいろとまたトラブルがあり結局テストを受けたのは3日後。
このチームは元フランス代表パトリース.ロコなどやセネガル代表のマリック.ディオップなどがいて、レベルが高かったけど、すんげえ楽しかった。
1週間後契約は残念ながらできなくスイスにまた向かい、ごちゃごちゃがあった結果ヌシャテルザマックスとのテストを得る事ができた。
このチームは80年代と90年代にレアルマドリッドとUEFAカップ準々決勝でホームで2回とも勝利しており、スイスでは歴史のあるチームだった。 向こうに行ってから知った事だが…
1日目から、はっきりいって調子がよかった。とにかく思い通りなプレーができた事が何よりも満足。
そして1週間後、契約を結び、ヨーロッパでの挑戦が始まろうとしていた。 はっきりいって信じられなかったね。そしてその前の日に代理人のところにLORIENTから電話があり、向こうも契約をしたいとゆってきたそうだ。でも結局話し合ってザマックスを選んだ。
いざ始まると簡単にはやらしてくれなかったが、できないことはなかった。監督も俺を試合に積極的に使ってくれて、足首を怪我して1ヶ月間出られなくなるまでは毎試合ほぼ、ベンチからかスタメンで試合には出してもらってました。1番辛っかたんは言葉が通じなかったことかな。あとはプレッシャーと緊張感が違うなって思った。言葉が通じないのは毎日仕事に行って誰とも喋れないようなもん。他の選手が優しくないわけではないが、決して助けてくれるって事はないかもね。そんな世界やからしようがないけど。その国の言葉を習うことが一番の近道。
でもさすがにレスランとか郵便局で荷物を送ろうとした時に、向こうは英語を喋れんのに無視された時は腹立ったけど、やっぱり俺が学ぶべきやね。
はじめの6ヶ月は嫌な事ばっかりやったけど、厳しいところにいて成長できてほんとによかった。そのおかげで今は何に対してもそう簡単にくじけない。
そして俺が怪我をしてる間に、フランスからスポンサーがつき選手を連れてき、俺を放出したいとゆってきた。3年契約をしていたから問題はなかったはずだが、半年で契約の見直しがあったためそれを使ってきた。しかし60%以上の試合に出た場合は残れるはずの契約で、俺は60%以上の試合に出たのにもかかわらず契約をきられた。 まあ、最終的には実力が足りなかった事だが、3年契約は3年契約。
結局2部のチームに行ってからも弁護士を通じて、裁判寸前までになった。その次の半年間は短いようで長かったような気がする。とりあえず頭の中がごちゃごちゃだったのを憶えている。
そして次のシーズン2部リーグのチームに戻って契約をしたが労働ビザが下りなく3ヶ月間練習だけをし、ビザが下りるのを毎日待ってたが…ある日チームの関係者に呼ばれて下りない事が判明した。
最終的には実力が足りなかった事だから、今はまた力を磨かないと。
今度行くときはぜひ成功してみたい。
長くなったけど、最後まで読んでくれた人はありがとうございます。

CommentBox